春風文庫
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2017.09
子煩悩な高杉晋作
晋作が描いた関門海峡
高杉晋作と五代友厚
一、「横」の繋がり「幕末の志士」と呼ばれる人々は江戸や京都に集まり、藩や身分階級を超越して「横議」「横行」「横結」といった結び付きを強め、それが「維新」へと発展したとされる。いつの時代も、「お山の大将」「井の中の蛙」から歴史を動かすエネルギーなど、生まれて来るはずがない。長州萩に...
高杉晋作と南條範夫
(1)多くの時代小説・歴史小説を遺した直木賞作家の南條範夫さんには昭和の終わりころ、一度だけお目にかかったことがある。場所は東京の某出版社主催のパーティーの席上で、世はバブル経済の絶頂期であった。そのころ僕は大学生で、雑誌編集を手伝ったり、雑文を書いたりしていたので、そんな場に足...
続・龍馬の「八策」の「前文」に関する一考察
「八策」の「添状」か土佐藩の建白を受け入れた将軍徳川慶喜は慶応三年(一八六七)十月十四日、朝廷に大政奉還を願い出、翌十五日に勅許された。坂本龍馬は大政奉還後、諸侯会議(十万石以上の大名会議)を経て誕生するであろう新政権につき、その構想するところを八カ条に分けて記し、示す。いわゆる...
明治維新と菅原文太さん
(1)よく、「いつから歴史が好きだったのですか」と尋ねられる。僕の場合は小学生のころ、学校図書室で読んだ子供向けの日本史本とNHK大河ドラマが原点だ。同世代の友は、似たような経験の持ち主が多い。大河ドラマは「元禄太平記」「風と雲と虹と」、そして小学五年生の時に観た「花神」で、「吉...
「贋作」から「真作」へ
高杉晋作の「遺墨」とされるものは実に贋作が多く、そのことは何度も書いて来たから繰り返さない。また、個人で贋作と知らずに入手して楽しんでおられる方に、わざわざこちらから指摘、説明する必要もないと思っている。知らぬが仏、勝手にやればいい。ただ、公立の機関が真作として贋作を公開している...
晋作と聞多の漢詩
(1)地域に根差し、地べたを這いずりまわるような努力のすえに生み出された「郷土史家」の業績には、その生きざまも含めて時に刮目させられるものがある。半面、顕彰やお国自慢の意味を履き違えた「郷土史家」の仕事に、マイナスの意味で驚かされることも少なくない。たとえば藤田伝三郎の伝記から贋...
河上弥市の里帰り
龍馬八策
龍馬の「八策」の「前文」に関する一考察(『萩博物館調査研究報告・8』平成25年3月)遺墨複製の巻子幕末から明治にかけて活躍した「志士」「元勲」などが、いかにして大衆人気を得、歴史上の「英雄」として語り継がれるようになったかは、私の関心事のひとつである。これまでも調べたことを『幕末...
高杉晋作の好物
鯛のあら煮「高杉晋作が好きだった食べ物は何か」といった質問が寄せられることが意外と多い。食べ物につき、あれこれ言うのはみっともないと考えるのが武士である。だからだろうか、晋作は手紙や日記に食べ物について、まして感想などは、ほとんど記していない。ただ、後年マサ夫人が山口県出身のジャ...