著作リスト・下関市史東行記念館篇

~ 一坂太郎著作リスト ~

(以下は単著、パンフレット類などは除く)

『高杉晋作の手紙』 一坂太郎著 新人物往来社刊 平成4年

『写真集 奇兵隊』 一坂太郎著 奇兵隊士研究所刊 平成5年

『吉田松陰門下生の手紙』 一坂太郎著 世論時報社刊  平成6年

『写真集 奇兵隊 増補版』 一坂太郎著 奇兵隊士研究所刊  平成6年

『高杉晋作覚え書』 一坂太郎著・刊 平成6年

『久坂玄瑞遺墨』 一坂太郎解説 東行庵刊 平成6年

『高杉晋作 漢詩改作の謎』 一坂太郎著 世論時報社刊 平成7年

『高杉晋作の日記』 一坂太郎著・刊 平成7年

『龍馬が愛した下関』 一坂太郎著 新人物往来社刊 平成7年

『資料・奇兵隊および諸隊士顕彰墓地』 一坂太郎著 東行庵刊 平成8年

『高杉晋作・奇兵隊文献目録』 一坂太郎編 東行庵刊 平成9年

『「竜馬がゆく」読本』 一坂太郎著 世論時報社刊 平成9年

『防長戊辰掃苔録』 一坂太郎著 東行庵刊 平成9年

『東京の中の防長』 一坂太郎著 山口県広報課刊 平成10年

『高杉晋作秘話』 一坂太郎著・刊 平成11年

『史料・赤禰武人』 一坂太郎編 東行庵刊 平成11年

『晋作語録』 一坂太郎著 山口新聞刊 平成12年

『維新防長掃苔録・1』 一坂太郎著 東行庵刊 平成12年

『高杉晋作探究』 一坂太郎著・刊 平成12年

『奇兵隊文書』 一坂太郎編 東行庵刊 平成13年

『高杉晋作』(文春新書) 一坂太郎著 文芸春秋社刊 平成14年

『防長の隠れた「偉人」たち』 一坂太郎著 山口銀行・春風文庫刊 平成14年

『高杉晋作史料・1』 一坂太郎編 田村哲夫校訂 マツノ書店刊 平成14年

『高杉晋作史料・2』 一坂太郎編 田村哲夫校訂 マツノ書店刊 平成14年

『高杉晋作史料・3』 一坂太郎編 田村哲夫校訂 マツノ書店刊 平成14年

『長州奇兵隊』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社刊 平成14年

『高杉晋作を歩く』 一坂太郎著 山と渓谷社 平成14年

『坂本龍馬を歩く』 一坂太郎著 山と渓谷社 平成15年

『高杉晋作 100問100答』(萩ものかだり・2) 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成16年

『幕末歴史散歩 東京篇』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社刊 平成16年

『萩のまちを歩く』 一坂太郎著 山と渓谷社刊 平成16年

『松陰と晋作の志』(ベスト新書) KKベストセラーズ刊 平成17年

『関西の中の防長』 一坂太郎著 春風文庫刊 平成17年

『松陰先生のことば』(萩ものかだり・5) 一坂太郎編 萩ものかだり刊 平成17年

『幕末歴史散歩 京阪神篇』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社 平成17年

『萩と日露戦争』(萩ものかだり・7) 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成17年

『萩の史碑』(萩ものかだり・11) 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成18年

『ますらをたちの旅―長州ファイブ物語』 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成18年

『高杉晋作こぼれ話』 一坂太郎著 春風文庫刊 平成18年

『九州西国霊場巡礼の旅』 一坂太郎著 山と渓谷社 平成19年 

『高杉晋作を歩く 改訂版』 一坂太郎著 山と渓谷社 平成19年

『坂本龍馬を歩く 改訂版』 一坂太郎著 山と渓谷社 平成19年

『東海道新幹線歴史散歩』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社 平成19年

『写真集 桂小五郎』(萩ものかだり・15) 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成19年

『幕末・英傑たちのヒーロー』(朝日新書) 一坂太郎著 朝日新聞社刊 平成20年

『若き日の伊藤博文』(萩ものかだり・17) 一坂太郎著 萩ものかだり刊 平成20年

『ひょうご幕末維新列伝』 一坂太郎著 神戸新聞総合出版センター刊 平成20年

『クロニクル 高杉晋作の29年』 一坂太郎著 新人物往来社刊 平成20年

『東京幕末維新を歩く旅』 一坂太郎著 山と渓谷社刊 平成20年

『高杉晋作の天神信仰』 一坂太郎著 防府天満宮刊 平成20年

『時代を拓いた師弟―吉田松陰の志』 一坂太郎著 第三文明社刊 平成21年

『会津と長州、幕末維新の光と闇』 一坂太郎談(星亮一氏と) 講談社刊 平成21年

『仁王』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社刊 平成21年

『わが夫 坂本龍馬』(朝日新書) 一坂太郎著 朝日新聞出版刊 平成21年

『幕末時代劇、「主役」たちの真実』(+α新書) 一坂太郎著 講談社刊 平成22年

『史伝 吉田松陰』(M文庫) 一坂太郎著 学研パブリッシング刊 平成22年

『木戸孝允』(日本史リブレット) 一坂太郎著 山川出版社刊 平成22年

『随想 晋作と龍馬』 一坂太郎著 春風文庫刊 平成22年

『高杉晋作の「革命日記」』(朝日新書) 一坂太郎著 朝日新聞出版刊 平成22年

『高杉晋作の手紙』(学術文庫)一坂太郎著 講談社刊 平成23年

『吉田栄太郎の幕末』一坂太郎著 春風文庫刊 平成23年

『吉田稔麿の生涯』(萩ものがたり・34) 一坂太郎著 はぎものがたり刊 平成24年

『ぶらり萩さんぽ』 一坂太郎著 ウエスト・パブリッシング刊 平成24年

『これだけは知っておきたい幕末・維新』 一坂太郎著 朝日新聞出版刊 平成24年

『山県有朋の「奇兵隊戦記」』(歴史新書)一坂太郎著 洋泉社刊 平成25年

『奇兵隊士列伝(一)』一坂太郎著 萩ものがたり 平成25年

『奇兵隊士列伝(二)』一坂太郎著 萩ものがたり 平成25年

『司馬遼太郎が描かなかった幕末』(集英社新書)一坂太郎著 集英社刊 平成25年

『高杉晋作と諌早生二』一坂太郎著 萩ものがたり刊 平成26年

『幕末維新の城』(中公新書)一坂太郎著 中央公論新社刊 平成26年

『高杉晋作 情熱と挑戦の生涯』(角川ソフィア文庫)一坂太郎著 KADOKAWA刊 平成26年

『高杉晋作と長州』(人をあるく)一坂太郎著 吉川弘文館 平成26年

『高杉晋作考』一坂太郎著 春風文庫刊 平成26年

『吉田稔麿 松陰の志を継いだ男』(角川選書)一坂太郎著 KADOKAWA刊 平成26年

『幕末「長州」史跡散歩』(歴史新書)一坂太郎著 洋泉社刊 平成26年

『吉田松陰と高杉晋作の志』(ベスト新書)一坂太郎著 KKベストセラーズ刊 平成26年

『吉田松陰とその家族』(中公新書) 一坂太郎著 中央公論新社刊 平成26年

『楫取素彦と吉田松陰の妹・文』(新人物文庫)一坂太郎著 KADOKAWA刊 平成26年

『晋作語録 増補決定版』一坂太郎著 第三文明社 平成26年

『久坂玄瑞』一坂太郎著 萩ものがたり刊 平成26年

『吉田松陰 久坂玄瑞が祭り上げた英雄』(朝日新書) 一坂太郎著 朝日新聞出版 平成27年

『楠木正成公と吉田松陰』 一坂太郎著 湊川神社 平成27年

『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』 一坂太郎著 ベストセラーズ(ベスト新書)平成28年

『坂本龍馬を歩く』(ヤマケイ文庫版)一坂太郎著 山と渓谷社刊 平成28年

『昭和史跡散歩「東京篇」』(イースト新書版)一坂太郎著 イーストプレス刊 平成28年

『わが夫、高杉晋作』一坂太郎著 萩ものがたり刊 平成28年

『明治維新とは何だったのか』 一坂太郎著 創元社 平成29年

『萩を歩く』一坂太郎著 ウエストパブリッシング 平成29年

『フカサクを観よ 深作欣二監督全映画ガイド』 一坂太郎著 青志社 平成30年

『語り継がれた西郷どん』 一坂太郎著 朝日新聞出版(朝日新書)平成30年

『松陰神社ものがたり』一坂太郎著 松陰神社(東京)平成30年

『吉田松陰190歳』一坂太郎著 青志社 平成31年

『久坂玄瑞』(日本評伝選)一坂太郎著 ミネルヴァ書房 平成31年

『わが夫 坂本龍馬』(新装版)一坂太郎 青志社 平成31年

『坂本龍馬と高杉晋作』一坂太郎 朝日新聞出版(朝日新書)令和2年

『暗殺の幕末維新史』一坂太郎 中央公論新社(中公新書)」令和2年

『楠公の遺志を継ぐ者たち』(湊川神社)2023年

『暗殺の日本近現代史』 青志社 2023年

(以下は共著)

『写真集 坂本龍馬の生涯』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成元年

『高杉晋作をめぐる群像』 一坂太郎ほか著 青人社刊 平成5年

『西郷隆盛をめぐる群像』 一坂太郎ほか著 青人社刊 平成5年

『江戸時代人づくり風土記 35 山口県』 一坂太郎ほか著 農文協刊 平成8年

『下関豊浦歴史物語』 一坂太郎ほか著 瀬戸内出版刊 平成8年

『堂々日本史 3』 一坂太郎ほか著 KTC中央出版刊 平成8年

『堂々日本史 7』 一坂太郎ほか著 KTC中央出版刊 平成8年

『共同研究・坂本龍馬』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成8年

『剣豪伝 地の巻』(講談社文庫) 一坂太郎ほか著 講談社刊 平成15年

『久保松太郎日記』 一坂太郎ほか編 マツノ書店刊 平成15年

『中国観音霊場巡礼の旅』 一坂太郎ほか著 山と渓谷社刊 平成16年

『教科書が教えない 歴史有名人の晩年』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成17年

『教科書が教えない 日本史のカラクリ』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成19年

『教科書が教えない 歴史有名人の晩年と死』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成19年

『日本史有名人の苦節時代』(新人物文庫) 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成21年

『日本史「宿敵」26番勝負』(SUGOI文庫) 一坂太郎ほか著 宝島社刊 平成21年

『日本史大事件の前夜』(新人物文庫) 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成21年

『RYOMA GRAPHICS』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成21年

『奈良さわやかさんぽ』 一坂太郎ほか著 山と渓谷社刊 平成22年

『幕末維新人物事典』 一坂太郎ほか著 学研パブリッシング刊 平成22年

『物語 幕末を生きた女101人』(新人物文庫) 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成22年

『日本史有名人の晩年』(新人物文庫) 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成22年

『日本の古寺大巡礼』(新人物文庫) 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成22年

『高校日本史に出てくる歴史有名人の裏話』(新人物文庫) 一坂太郎著 新人物往来社刊 平成22年

『仕組まれた日本史』(新人物文庫)一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成23年

『あの日本史有名人の老い方死に方』 一坂太郎ほか著 新人物往来社 平成23年

『吉田年麻呂史料』 一坂太郎・道迫真吾編 マツノ書店刊 平成24年

『日本史有名人男の生き方』 一坂太郎ほか著 新人物往来社刊 平成24年

『江戸時代265年ニュース事典』 一坂太郎ほか著 柏書房刊 平成24年

『久坂玄瑞史料』一坂太郎ほか編 マツノ書店 平成30年

『明治』という遺産」瀧井一博編(一坂太郎「明治150年とは何だったのか」所収) ミネルヴァ書房 令和2年

一坂太郎『随想晋作と龍馬』の負の史料集解説―あとがきにかえてー

 山口県に住むようになって、ちょうど二十年という歳月が過ぎた。この間、悲喜交々、さまざまな出来事がある。当初からの目標だった『高杉晋作史料』全三巻(平成十四年、マツノ書店)をはじめ、七十冊ほどの著作を残せたことは、有意義な経験だった(リスト121頁以下)。

 一方、最も不愉快だったのは平成十五年二月、当時学芸員として勤務していた宗教法人が運営する東行記念館(下関市吉田町)が閉館したことだ。およそ十三年にわたり記念館で史料の保存、展示に携わり、そこを活動の拠点として来た私としては、こんなに無念なことはなかった。宗教法人の理事会も経ずに、突然、閉館を理由にした解雇通知が届き、唖然とし、また途方に暮れた。

 それだけならまだしも、この宗教法人の代表者たちは「資料保存や歴史研究をする場ではない」「歴史や人物研究よりも檀家を増やし寺らしく経をあげるのが正しい道」「東行庵は歴史研究所ではない。(宗教法人として)墓があり住職を置く本来の姿にもどる」(当時の新聞発表による。125頁以下参照)といった、内輪(下関市の行政を含む)では通用した理屈を、記者会見までわざわざ開いて、世間に堂々と発表した。恥知らずである。

 ところが、当初の思惑とは全く逆に、責任役員はたちまち世間の非難を浴びることになる。するとあからさまに態度を一転させ、史料返却、閉館に反対していた(一蹴されたが)私個人に責任があると言い出し、攻撃の矢を放って来た。史料を「持ち出した」「盗んだ」など、まったく身に覚えがない、理不尽なウソ・デタラメを吹聴され、迷惑極まりない話だ。当時の記者会見記事を見れば子供でも分かるように、霊園化(鳥獣保護区無許可伐採で頓挫)、史料返却、閉館などをどんどん進めたのは、席上ご高説をのたまった方々であり、一職員である私には何の相談も無かった(あるはずがない)。

 ただ、どういうご関係なのかは知らぬが、ご高名な政治家や商売人、下関市幹部、郷土作家をはじめ文化人気取り、ゴロツキジャーリズムなど有象無象が、べったりとくっついているので実に悪質である。当時の下関市教育長も山口県教育次長も、表面化する以前から閉館や史料返却についてはよくご存じであり、見て見ぬふりを決め込むどころか、むしろ追従、賛同されていたように私には見えたが…。教育行政がこの程度の認識なのだから、他は推して知るべしである。

 しかし結局私は裁判のすえ勝訴し、元凶である神田英雄東行庵理事から名誉棄損として賠償金を取った。ちなみに神田理事らの訴えは、裁判で棄却されている。宗教に係わる者が他人の名誉を傷つけ、賠償金を払うのだから、これ以上の不名誉もあるまい。

 ただ、いくら勝訴したとはいえ、まったく無駄な、阿呆らしい時間と労力を消費させられたと思うと腹立たい。そんな暇があれば、本の五、六冊も書けただろう。私が人生の師と仰ぐ某氏などは「面白い勉強をした」と慰めて下さるが、私は人間が出来ていないので、ただ腹立たしいばかりである。

 ところがなおも驚かされるのは、私が勝訴したにもかかわらず、一部の下関市幹部などは「一坂が敗訴した」とのウソの噂を懸命になって流していることだ。これもまた大迷惑。下関市として一個人、一市民を陥れるため、そこまでしなければならないのは、何かよほど後ろ暗いことがあるのだろうか。それとも日本の裁判は、賠償金を払った方が「勝訴」で、取った方が「敗訴」との常識に変わったのだろうか。

 まさに行政挙げての暴力であり、排他主義であり、理屈など通用するものではない。下関市というのはけったいな所で、郷土史家同士の程度の低い争いなどでも、すぐに政治家の所に駆け込み、優位に立とうとする。政治家もそれに平然と乗っかるから、当然変てこな泥仕合へと発展するケースが多い。下関市に住んでいると、「裏から」手を廻して、なんでもかんでも政治が介入して問題解決させるのが大好きな市民性を感じる。この地に根を張る政治家が、そうしたきわめて不健全な土壌を永年かけて築き上げてきたのだろう。

 閉館当時のことも、時間と共に忘れ去られるだろうから、今回は当時の新聞を付録にしておく。世間に知らせたかった宗教法人の主張は、大変貴重な「負の史料」として下関市史の中にしっかりと刻印して、伝えるべきだと考えるからだ。行政がこれらをごまかして、封印しようとするのは、良くないことではないか。

 なお、平成二十二年六月より、下関市は東行記念館に多額の公費を投入して、市立として運営している。「保存・研究の場ではない」と主張しておられる一宗教法人の施設であり、「『長年赤字』資料示さず」「累積の赤字はない」(新聞記事)のに、なぜだろう。神経を疑う。宗教法人が運営してきた施設に、なぜかこのような形で行政が絡んでゆく。少なくとも私が知る頃までの、この宗教法人の財政状況では、行政が肩入れなどすれば全国的な珍事になるのではと、余計な心配をする。

 私が山口県に住んで二年ほど、まだ二十代の半ばのころのことだ。日頃から執拗に、私の足を引っ張っていた下関市広報公聴課職員(当時)で自称郷土史家に呼び出され、「自分たちの仕事を邪魔されたと、みんな怒っている。目立つと住めなくしてやる」と言われたことがあった。地縁、血縁の無い土地に住むだけに、本当に悔しかった。この男は定年退職から大分時間を経た後、下関市の文化施設の長を務めているが、何らかの論功行賞があったのではないかとさえ疑いたくなる。下関市の行政を担う者たちの目が、いかに節穴かということだ。

 年がら年じゅう、こうした陰湿で粘着性の強い嫌がらせを受けて来た。ある人がご著書に、下関市は一坂を冷遇し続けたと書いておられるらしいが、私としては厚遇も冷遇も不要だ。ただ、構わないで欲しい、そっと研究を続けさせて欲しいというのが切実な願いであったが、残念ながらそれも叶わなかった。他人が気になって仕方なく、なんでもかんでもちょっかいを出すのは、極めて幼稚な事だと思う。

 行き当たりばったりの事なかれ主義が不用の騒動を起こし、それでもなお保身のために様々な事実をもみ消そうと噂をばらまいて走り回る。責任ある立場の者が、責任を弱い立場の者にぬすくりつけて逃げまわる。証拠が無いから法に触れないではなく、もう少し、公平、公正な姿勢があってもいいのではないか。まして、行政や宗教法人である。さらにそれを面白半分に煽りたてる、悪質な民度の低さも露呈している。

 知っている事を墓場にまで持って行ってやるほど、しがらみの無い「他所者」の私はお人好しではない。やりっ放しで済まされるという事は、無いはずだ。まあ、下品なお話しを書くのは、これくらいにしておく。興味津々の方もいれば、無関心な方もいるだろう。

 ただ誤解ないようお断りしておくが、私の周囲には「他所者」の私を善意で受け入れ、温かく見守って、育てて下さった山口県民の方々が多数おられるのも事実で、感謝しきれないほど感謝している。

 平成二十二年八月

一坂太郎


下関市史・東行記念館閉館