続・龍馬の「八策」の「前文」に関する一考察

「八策」の「添状」か

土佐藩の建白を受け入れた将軍徳川慶喜は慶応三年(一八六七)十月十四日、朝廷に大政奉還を願い出、翌十五日に勅許された。

坂本龍馬は大政奉還後、諸侯会議(十万石以上の大名会議)を経て誕生するであろう新政権につき、その構想するところを八カ条に分けて記し、示す。いわゆる「新政府綱領八策」(以下「八策」と略称)である。これは、日本の近代化を知る上での重要史料のひとつではあるが、現存する二通(国会図書館・下関市立長府博物館蔵)は肝心な伝来もはっきりせず、何分「謎」が多いことも確かだ。

この点につき、以前私は「龍馬の『八策』の『前文』に関する一考察」(『萩博物館調査建久報告』八号、平成二十四年)中で、

①成立したのは「慶応三年(一八六七)十月二十三日」、場所は「京都」ではないか。

②中岡慎太郎(石川清之助)との合作との合作ではないか。

などと推察した。根拠としたのは、私が所蔵する、古い遺墨集(巧芸)中、「八策」の「前文」のように貼られた、一通の龍馬直筆書簡である。「八策」の本歌は国会図書館蔵だが、現存のそれには書簡は付いていない。あらためて紹介すると、次のようになる。

「昨日日(?)御会盟の時、今日認候て薩へ送り候書き付は、定て御出来と相成可申、又御かまいこれなくば乍恐拝見はできますまいか奉頼候。今日石清参り、共に是より先き の事を論じ、手順を書き認候間、写御目にかけ度奉頼候。

廿三日 謹言」

この書簡を、龍馬が「八策」を誰か(おそらく土佐藩重役)に送ったさいの「添状」と仮定して読むと、先のようなことが浮かび上がって来たのである。

薩摩藩との連携

ちなみに龍馬は慶応三年十月二十三日に京都を発ち、越前福井に赴き、三岡八郎(由利公正)と国内の経済政策につき、話し合った。その内容は近年見つかり話題となった、龍馬が後藤象二郎に送った「越行の記」と題した報告書に明らかだ。

これを見ると、越前での三岡との話し合いが、「八策」に反映されているかは疑問である。だから、従来言われているように、「八策」は越前から京都に戻った「後」に書かれたというよりも、その「前」に書いた可能性を考える必要があると思う。

さらに私は「問題は『前文』前半で、薩摩藩に送る書類が出来ていたら見せて欲しいと述べているが、これが何だったのか、いまのところ私にはよく分からない」とも述べた。しかし、この点は現在では次のように考えている。

当時、表向きでは薩摩藩は土佐藩の大政奉還建白を認めていた(慶応三年十月二日、小松帯刀から大政奉還建白提出に反対しない旨、手紙で通達)。そのため、薩摩藩もまた大政奉還の立役者として、世間では認識する向きもあったと思われる。結果、大政奉還に猛反対だった会津藩などの恨みを買い、薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通などは危機を避けるべく、京都から逃れたとの説があるくらいだ。

だが実は、薩摩藩は武力討幕を諦めていない。長州藩とともに「討幕の密勅」を手に入れて藩内反対派を黙らせ、諸侯会議潰しのために暗躍しているのだが、それは裏側での話である。

土佐藩の面々は、何らかの形で薩摩藩との連携を保ちたいと願い、奔走していたのではないか。そう考えると、龍馬が見せて欲しいと頼む「薩へ送り候書き付」とは、それに関する内容ではなかったか。

「薩土盟約」の「添状」か

つぎに、これが「八策」ではない、別の文書の「添状」だったと仮定して見てゆきたい。その場合、慶応三年六月に成った「薩土盟約」の盟約文の「添状」であるとするのが、妥当な線だと考える。

同月二十二日、土佐藩と薩摩藩の首脳が京都の料亭において会合した。薩摩からは小松・西郷・大久保、土佐からは後藤・寺村左膳・福岡孝弟・真辺栄三郎、そして浪士代表として龍馬と中岡が立ち会ったことになっている。この席で土佐藩側から大政奉還建白が提案され、薩摩藩側もこれを承諾した。

その盟約文は二十三、二十四日と土佐藩側で練られ、二十六日、寺村から西郷のもとに届けられたことが分かっている(『寺村左膳日記』)。そして薩摩藩側もこれに同意した(のちに破棄される)。

龍馬と中岡もまた盟約文案を練り、土佐藩重役に送ったさいの「添状」であると仮定しても、読める内容である。ならば「六月二十三日」であり、冒頭の「昨日日御会盟の時」は、薩摩・土佐藩首脳との会盟で、「薩へ送候書き付」は、盟約文ということになる。

「薩土盟約」か「八策」か、それ以外の「添状」なのか。いずれにせよ、現時点での私は「決め手」が見当たらず、これ以上は何とも言いようがない。あくまで問題提議であり、仮説だ。

先日、慶応三年後半における龍馬の国家構想をテーマとした、あるテレビ番組にスタジオゲスト出演するよう、依頼を受けた。しかし、スケジュールの蓋を開けたらその前週に放送する分にも私が出演することになってしまったので、さすがにまずいということになり、急遽VTRでコメントだけ撮影してもらった。そのため十分話せなかった部分を、書かせてもらった次第である。

春風文庫

~ 一坂太郎のホームページへようこそ。~

0コメント

  • 1000 / 1000