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一坂太郎『随想晋作と龍馬』の負の史料集解説―あとがきにかえてー

 山口県に住むようになって、ちょうど二十年という歳月が過ぎた。この間、悲喜交々、さまざまな出来事がある。当初からの目標だった『高杉晋作史料』全三巻(平成十四年、マツノ書店)をはじめ、七十冊ほどの著作を残せたことは、有意義な経験だった(リスト121頁以下)。

 一方、最も不愉快だったのは平成十五年二月、当時学芸員として勤務していた宗教法人が運営する東行記念館(下関市吉田町)が閉館したことだ。およそ十三年にわたり記念館で史料の保存、展示に携わり、そこを活動の拠点として来た私としては、こんなに無念なことはなかった。宗教法人の理事会も経ずに、突然、閉館を理由にした解雇通知が届き、唖然とし、また途方に暮れた。

 それだけならまだしも、この宗教法人の代表者たちは「資料保存や歴史研究をする場ではない」「歴史や人物研究よりも檀家を増やし寺らしく経をあげるのが正しい道」「東行庵は歴史研究所ではない。(宗教法人として)墓があり住職を置く本来の姿にもどる」(当時の新聞発表による。125頁以下参照)といった、内輪(下関市の行政を含む)では通用した理屈を、記者会見までわざわざ開いて、世間に堂々と発表した。恥知らずである。

 ところが、当初の思惑とは全く逆に、責任役員はたちまち世間の非難を浴びることになる。するとあからさまに態度を一転させ、史料返却、閉館に反対していた(一蹴されたが)私個人に責任があると言い出し、攻撃の矢を放って来た。史料を「持ち出した」「盗んだ」など、まったく身に覚えがない、理不尽なウソ・デタラメを吹聴され、迷惑極まりない話だ。当時の記者会見記事を見れば子供でも分かるように、霊園化(鳥獣保護区無許可伐採で頓挫)、史料返却、閉館などをどんどん進めたのは、席上ご高説をのたまった方々であり、一職員である私には何の相談も無かった(あるはずがない)。

 ただ、どういうご関係なのかは知らぬが、ご高名な政治家や商売人、下関市幹部、郷土作家をはじめ文化人気取り、ゴロツキジャーリズムなど有象無象が、べったりとくっついているので実に悪質である。当時の下関市教育長も山口県教育次長も、表面化する以前から閉館や史料返却についてはよくご存じであり、見て見ぬふりを決め込むどころか、むしろ追従、賛同されていたように私には見えたが…。教育行政がこの程度の認識なのだから、他は推して知るべしである。

 しかし結局私は裁判のすえ勝訴し、元凶である神田英雄東行庵理事から名誉棄損として賠償金を取った。ちなみに神田理事らの訴えは、裁判で棄却されている。宗教に係わる者が他人の名誉を傷つけ、賠償金を払うのだから、これ以上の不名誉もあるまい。

 ただ、いくら勝訴したとはいえ、まったく無駄な、阿呆らしい時間と労力を消費させられたと思うと腹立たい。そんな暇があれば、本の五、六冊も書けただろう。私が人生の師と仰ぐ某氏などは「面白い勉強をした」と慰めて下さるが、私は人間が出来ていないので、ただ腹立たしいばかりである。

 ところがなおも驚かされるのは、私が勝訴したにもかかわらず、一部の下関市幹部などは「一坂が敗訴した」とのウソの噂を懸命になって流していることだ。これもまた大迷惑。下関市として一個人、一市民を陥れるため、そこまでしなければならないのは、何かよほど後ろ暗いことがあるのだろうか。それとも日本の裁判は、賠償金を払った方が「勝訴」で、取った方が「敗訴」との常識に変わったのだろうか。

 まさに行政挙げての暴力であり、排他主義であり、理屈など通用するものではない。下関市というのはけったいな所で、郷土史家同士の程度の低い争いなどでも、すぐに政治家の所に駆け込み、優位に立とうとする。政治家もそれに平然と乗っかるから、当然変てこな泥仕合へと発展するケースが多い。下関市に住んでいると、「裏から」手を廻して、なんでもかんでも政治が介入して問題解決させるのが大好きな市民性を感じる。この地に根を張る政治家が、そうしたきわめて不健全な土壌を永年かけて築き上げてきたのだろう。

 閉館当時のことも、時間と共に忘れ去られるだろうから、今回は当時の新聞を付録にしておく。世間に知らせたかった宗教法人の主張は、大変貴重な「負の史料」として下関市史の中にしっかりと刻印して、伝えるべきだと考えるからだ。行政がこれらをごまかして、封印しようとするのは、良くないことではないか。

 なお、平成二十二年六月より、下関市は東行記念館に多額の公費を投入して、市立として運営している。「保存・研究の場ではない」と主張しておられる一宗教法人の施設であり、「『長年赤字』資料示さず」「累積の赤字はない」(新聞記事)のに、なぜだろう。神経を疑う。宗教法人が運営してきた施設に、なぜかこのような形で行政が絡んでゆく。少なくとも私が知る頃までの、この宗教法人の財政状況では、行政が肩入れなどすれば全国的な珍事になるのではと、余計な心配をする。

 私が山口県に住んで二年ほど、まだ二十代の半ばのころのことだ。日頃から執拗に、私の足を引っ張っていた下関市広報公聴課職員(当時)で自称郷土史家に呼び出され、「自分たちの仕事を邪魔されたと、みんな怒っている。目立つと住めなくしてやる」と言われたことがあった。地縁、血縁の無い土地に住むだけに、本当に悔しかった。この男は定年退職から大分時間を経た後、下関市の文化施設の長を務めているが、何らかの論功行賞があったのではないかとさえ疑いたくなる。下関市の行政を担う者たちの目が、いかに節穴かということだ。

 年がら年じゅう、こうした陰湿で粘着性の強い嫌がらせを受けて来た。ある人がご著書に、下関市は一坂を冷遇し続けたと書いておられるらしいが、私としては厚遇も冷遇も不要だ。ただ、構わないで欲しい、そっと研究を続けさせて欲しいというのが切実な願いであったが、残念ながらそれも叶わなかった。他人が気になって仕方なく、なんでもかんでもちょっかいを出すのは、極めて幼稚な事だと思う。

 行き当たりばったりの事なかれ主義が不用の騒動を起こし、それでもなお保身のために様々な事実をもみ消そうと噂をばらまいて走り回る。責任ある立場の者が、責任を弱い立場の者にぬすくりつけて逃げまわる。証拠が無いから法に触れないではなく、もう少し、公平、公正な姿勢があってもいいのではないか。まして、行政や宗教法人である。さらにそれを面白半分に煽りたてる、悪質な民度の低さも露呈している。

 知っている事を墓場にまで持って行ってやるほど、しがらみの無い「他所者」の私はお人好しではない。やりっ放しで済まされるという事は、無いはずだ。まあ、下品なお話しを書くのは、これくらいにしておく。興味津々の方もいれば、無関心な方もいるだろう。

 ただ誤解ないようお断りしておくが、私の周囲には「他所者」の私を善意で受け入れ、温かく見守って、育てて下さった山口県民の方々が多数おられるのも事実で、感謝しきれないほど感謝している。

 平成二十二年八月

一坂太郎


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