「贋作」から「真作」へ
高杉晋作の「遺墨」とされるものは実に贋作が多く、そのことは何度も書いて来たから繰り返さない。また、個人で贋作と知らずに入手して楽しんでおられる方に、わざわざこちらから指摘、説明する必要もないと思っている。知らぬが仏、勝手にやればいい。ただ、公立の機関が真作として贋作を公開している場合は、納税者として多少のクレームをつけてもよいのではないか。そこで今回は山口県立山口博物館の例を見てゆきたい。同館の所蔵品に「梅図賛 高杉晋作筆 一軸」というのがあり、水墨で描かれた梅の下に、次のような賛が加えられている。
「玉府仙妹倚濃粧素衣一夕染玄霜相逢不訝姿客別為住王家竈治傍
丙寅秋日昼於馬関寓居倣清人張秋谷筆法
東行高杉晋題并戯」
同館ではこれを晋作の真筆と評価し、公開している。私が最初に見たのは三十年近く前、大学生のころで、確か年少入館者向けのパンフレットにも写真付きで紹介されていた。「自慢の逸品」らしいが、贋作ではないかと思ったので館員の方にその旨理由を述べて指摘したが、薄ら笑いを浮かべられただけで相手にしてもらえなかった。その後も、たとえば平成十年に広島市の広島城で開催された「特別展 毛利氏と幕末維新展」にこの「梅図賛」が出品されており、同展覧会図録にも晋作の史料を代表するものとして、カラー写真付きで掲載されている。図録の解説によればサイズは「縦一二一・三 横三〇・〇(センチ)」であり、「慶応二年(一八六六)秋、馬関(下関)において、張秋谷の筆法を模して描かれたことが知れる。張秋谷は中国清代の画人で、草花と鳥を主題とする『花鳥画』や、草花のみの『花卉画』を得意とした。天明年間(一七八一~八九)に来日しており、日本における南画の成立と発展に寄与した」などと、もっともらしい解説が付されている。だが結論から言えば、これは真作ではない。贋作である。しかも低レベルの贋作だ。いくつかの点で、それは証明出来る。
まず、「東行高杉晋」という署名がおかしい。「東行」というのは文久三年(一八六三)三月以降、亡くなるまで頻繁に使用した号だから、それ自体はおかしくない。問題は最もポピュラーな「高杉晋(作)」の方である。実は「晋作」は文久三年十一月、藩主から「東一」という名を与えられ、改名している。この時点で「晋作」の名は消えた。だが「東一」も脱藩の罪により投獄された元治元年(一八六四)三月二十九日、他の拝領品とともに没収されてしまう。「和助(和輔・和介)」と名乗ることになる。さらに慶応元年(一八六五)九月、幕府からの追及を逃れるため藩命により、「谷潜蔵」と改名した。
この改名を命じた藩からの沙汰書にははっきりと、「高杉和助 改 谷潜蔵」とある。公文書は、すでに「晋作」でも「東一」でも無い。管見の限りでも元治元年以降の私信で、晋作が「晋作」と署名することはない。しかも「高杉」という家も出て「谷」姓を使っているから、「丙寅秋日」、つまり慶応二年(一八六六)秋に「高杉晋」と署名することなど、ありえないのだ。
ありえないのだ、などと断定的に書くのは自分でも如何なものかとも思うが、それくらいありえないのだから仕方がない。もっと「ありえない」のは、こんな基本的なことも調べず、単純なミスにも目を瞑り、堂々と真作として展示した上、解説を付けて他館にまで貸しているのが、私たちが納めた税金で成り立っている施設であるということだ。しょせん私ごとき政治的立場ゼロの弱者が指摘しても、無駄のようである。無駄ついでに、山口県お墨付きの「梅図賛」がおかしい理由をいくつか指摘しておこう。
二か所に捺された印だが、右肩の関房印は『高杉晋作史料』二(平成十四年)の印譜15をモデルにしている。これは早くから、たとえば『維新志士遺芳帖』乾(明治四十三年)に掲載されている晋作詩書にも捺されて公表されているので、真似るのは容易だったのだろうが、出来があまりよろしくない。左下の署名の下の「東行之章」に至っては見たこともない印である。
また、同様の「梅図賛」が複数存在するというのも、面白い。私は山口博物館以外でも個人蔵のを数点見た。うち二点は写真があるので参考までに掲げる。笑うしか無い。
他にも山口博物館はあやしげな晋作書簡を所蔵しており、かつては真筆として公開していた。そのため私もとんだ迷惑をこうむったことがあるのだが、そのことについては講談社学術文庫版の『高杉晋作の手紙』(平成二十三年)の「おわりに」で少しだけ述べておいた。
晋作贋作を真作として公開している公共施設は他にもあるが、紙数が尽きるので、それらは又の機会に。しかし私が関係する萩博物館も、骨董屋の売り物(その中には怪しげな晋作の書もあったらしい)に「萩博物館鑑定済」というお墨付きを乱発していた大馬鹿者(自称学者)が館内にいたことが最近発覚し、ネット上で問題になっているそうだから(すでに公表されているので書く)、知らぬこととはいえ、偉そうなことは言えないのかも知れない。
(『高杉晋作考』用の書き下し草稿、平成26年7月)
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