玄瑞と晋作の肖像画

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 「高杉晋作」は慶応元年(一八六五)と二年に長崎の上野彦馬スタジオで撮影された二枚の写真があるから、わりと早くから風貌のイメージは固定化されていた。特に二年の髷を落とし、七三分けの髪にした晋作は、インパクトが強い。ドラマに登場する晋作役の俳優も、七三頭の写真に寄せるのが定番のようである。

 一方、晋作と並び松陰門下の竜虎と称される「久坂玄瑞」は、一枚の写真も残していない。

 明治前半に盛んに出版された絵草子のような志士列伝を見ても、玄瑞の描かれ方はさまざまである。『義烈回天百首』(明治七年)では、学者然とした姿で描かれている。あるいは『報国者絵入伝記』(明治七年)では鬼のような凄まじい形相で、血まみれになって自決する姿を描く。学者も自決も、どちらも玄瑞のイメージに相違ないが、なかなか決定打がなかったようだ。

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 そこへ登場するのが、頭に鉢巻、鎧を身につけた玄瑞の肖像画である。風貌は理知的だが、武装しているから勇ましくもある。まさに、玄瑞のイメージにぴったりではないか。玄瑞と言えば、現代ではこの肖像画が思い出される程である。

 この絵を私が初めて見たのは子供の頃、母の実家にあった昭和三十年代に出た『伝説と奇談』というムック本に掲載されたものだったと記憶する。その数年後、NHK大河ドラマ「花神」(昭和五十二年)で志垣太郎演じる玄瑞を見た時、肖像画のイメージのままだと思った。そこに寄せて、役作りをしたのは想像に難くない。

 それにしてもこの肖像画は一体誰が、いつ描いたものなのか。原画は存在するのか。書籍に掲載されているのは例外無くモノクロだが、色彩はあるのか。その後いろいろと気になったが、手掛かりは、なかなかつかめなかった。

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 福本義亮『松下村塾の偉人 久坂玄瑞』(昭和九年。のち『久坂玄瑞全集』と改題しマツノ書店が復刻)はこの肖像画を口絵に掲げ、次の解説を付す。

「巻頭に於ける江月斎(玄瑞)先生の画像は曩に文部省に於て公にせられたる日本百傑伝中に影出せられある肖像を複写したるもの。此の外先生の肖像としては寡聞にして未だ其の是れ在るを聞かざる所なり」(例言)

 また、「久坂秀次郎翁の曰」として、次の聞き書きも掲載する。

「これは日本百傑伝の写真の一枚である。玄瑞の写真又は肖像など云ふものはない。それであの写真の出来る時に自分が一人玄瑞に酷似して居るといふので、そのモデルになつた。油絵式に出来上つた時、野村、品川諸氏の意見を加味して諸所をなほして作られたものであるが、余程よく父に似通ふて居ると当時の評判であつた」(四四八頁)

 秀次郎は京都で生まれた玄瑞の遺子で、六歳の明治二年(一八六九)一月十七日に山口に来たと、『もりのしげり』(大正五年)の年表にある。その際、品川弥二郎は玄瑞にそっくりたど、太鼓判を押したとも伝えられる。

 玄瑞肖像画のモデルが秀次郎なのは、確かだろう。若き日の秀次郎写真(「週刊デルタ新聞」昭和四十三年九月二十九日)を見れば、明らかだ。本人を直接モデルにしたというより、写真をもとに描いた可能性も考えられる。

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 先の解説には、玄瑞肖像画は『日本百傑伝』のために描かれたとある。そこで探したところ、明治二十年代半ば、『日本百傑伝』シリーズが博文館から出版されていることが分かった。数人の小伝を一冊にして、全十数冊出版されたようだ。

 ただし、当「百傑」中には玄瑞は含まれず、当然、伝記も肖像画も載っていないから、これは違う可能性が高い。ちなみに「幕末の志士」では吉田寅次郎(松陰)・梁川星巌・西郷南洲(隆盛)などが入っている。なお、福本が言う文部省から出た『日本百傑伝』の存在は、今なお確認出来ない。おそらく、福本の勘違いだろう。

 結論を言えば、私は玄瑞肖像画は絵葉書用に描かれたものと考えている。

 日本における絵葉書は明治三十三年(一九〇〇)、私製葉書が認められたことに始まった。同三十七年から三十八年にかけての日露戦争では戦場写真を使った絵葉書が一大ブームとなり、「ハガキ文学」なる雑誌が博文館から発行されたりもした。

 絵葉書業者も乱立したようだが、そのひとつに明治三十九年十一月、岸他丑が東京麹町区九段坂で開業した「つるや画房」がある。同店が特に力を入れたのは、竹久夢二画の絵葉書だった。岸の妹は後年、夢二と結婚している程の濃い関係である。

 つるや画房は、「日本百傑肖像画絵葉書」というセット物を売り出す。神代から明治までの「偉人」「英雄」など百人を選び、一人一枚で肖像画を絵葉書にしたもので、この玄瑞肖像画も入っている。その多くは、どこかにあった肖像画を、転載したのではないようだ。同店の売りは「肖像画」で、宣伝文句には次のようにある。

「『クレヨン』肖像画は米国式擦筆にして、斯道研究の為め数年間、米国に留学せられたる当画房主作に依る」

 玄瑞肖像画はつるや画房岸他丑によるオリジナルクレヨン画、『日本百傑伝』は絵葉書セットのタイトルであろう。そう言えば福本も秀次郎も、書籍だとは言っていない。

 秀次郎の談話には、野村(靖)と品川(弥二郎)が意見を述べたとある。だが、つるや画房の絵葉書とすれば明治四十二年一月没の野村はともかく、同三十三年二月没の品川は見ていない可能性が高い。大体秀次郎の談話も、福本の記憶で書かれているようだ。秀次郎が現れた時の、品川の逸話と混同している可能性もある。

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 その他、つるや画房「百傑」には吉田松陰・大村益次郎・木戸孝允など、幕末長州の面々も含まれているのだが、いずれもよく知られた写真や肖像画を下敷きにしていることが分かる。もっとも松陰はやや厳つく、大村はカリカチュアされていているようで、そこに作家の主張が感じられなくもない。

 高杉晋作も「百傑」に含まれるが、こちらは、よく知られる肖像写真をなぜか無視したような、オリジナル作品になっている。総髪で大きな髷を結い、大きく鋭い目の晋作である。

 岸他丑がすでに出回っていた晋作の写真を知らなかったとは、考え難い。躍動感溢れる姿とも言えるが、これが作者が晋作に抱く、譲れないイメージだったのか。あるいは玄瑞肖像画と並べた時の、バランスを考慮したのかも知れない。

 発行されたのは絵葉書ブーム絶頂期の、明治終わりから大正はじめと推察しておく。大正五年(一九一六)には、この「百傑」の書籍化ともいうべき『日本歴代人傑大鑑』が日本社から出版されており、やはり玄瑞・晋作肖像画も収録されている。なお、「日本百傑肖像画絵葉書」は好評だったようで、後に続編が出たようだ。

       (「晋作ノート」62号、2024年9月)

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