2024.12.23 11:29吉田松陰自筆の書簡を初公開吉田松陰自筆の書簡を初公開 ―松陰と弥二郎、書に漂う師弟愛の物語(1) 今から百数十年前の幕末、日本は西洋列強の外圧という大きな問題に直面していた。これを「独立」の危機と見た吉田松陰(寅次郎)は、敵情視察のつもりで伊豆下田からアメリカ密航を企てるも失敗し、故郷である長州藩の萩(現...
2024.12.23 11:27玄瑞と晋作の肖像画(1) 「高杉晋作」は慶応元年(一八六五)と二年に長崎の上野彦馬スタジオで撮影された二枚の写真があるから、わりと早くから風貌のイメージは固定化されていた。特に二年の髷を落とし、七三分けの髪にした晋作は、インパクトが強い。ドラマに登場する晋作役の俳優も、七三頭の写真に寄せるのが定番...
2024.06.03 10:13木曽源太郎が見た彦斎と晋作(1) いまから四十年近く前のこと。ある出版社の編集長に持ち込んだ企画が通ったので、私は連日のように東京都内の幕末維新に関する史跡や墓を訪ね歩いた(その成果は紆余曲折を経、『幕末歴史散歩 東京篇』の題で平成十五年、中公新書の一冊として出版した)。 先日、当時撮影した大量の写真が出...
2024.02.04 09:49山口における晋作住居(1) 静岡大学教授(当時)の田村貞雄氏から、神奈川県立博物館に未発表の高杉晋作書簡が所蔵されていると教えてもらったのは、かれこれ三十年近く前のことと記憶する。後日、上京の折に同館を訪ね、閲覧、撮影させてもらった。 それは文久三年(一八六三)九月二十七日、両親宛の長文で、巻子装で...
2023.09.25 13:23『俗論派』の意見書「俗論派」の意見書(1) 幕藩体制に従順だった長州藩は文久二年(一八六二)七月、尊攘論の信奉者たちが藩是を奉勅攘夷に定めるや、過激藩と化す。将軍上洛、外国艦砲撃、そして元治元年(一八六四)七月に「禁門の変」で敗れるまでの二年間、暴走は続いた。激怒した孝明天皇は長州藩を朝敵として幕...
2023.07.03 12:15奇兵隊と近衛兵(1) 昭和四十三年(一九六八)の政府主導による「明治百年」には、近代化を美化し過ぎだなどとの批判の声が強かった。その反省もあったのか、昭和五十年代半ばは、官民共同で明治維新の影の部分にスポットを当てようとする動きが盛んになる。 それは私が中学生の頃で、NHKのテレビ番組「歴史へ...
2022.10.24 12:23奇兵隊の神様になった松陰(1) 奇兵隊が開いた桜山招魂場(さくらやましょうこんじょう)を前身とする桜山神社(下関市上新地町)には、祭神の名を刻む角材型の霊標(れいひょう)三百九十一基が六列で整然と並ぶ。その最前列中央が二段の台座上に据えられた「松陰吉田先生神霊」で、他の三百九十基の台座は一段だから、一基...
2022.06.08 12:17晋作と蓮根と山荘と(1) 長州藩内での政争に敗れた高杉晋作は下関を脱し、元治元年(一八六四)十一月四日、海路、筑前博多に逃れる。まず、福岡藩の同志と協議して肥前田代へ赴き、佐賀藩に決起を促すも失敗。失意のうちに博多に戻り、郊外の平尾山荘(当時、このような名称はないが)に十日間ほど潜伏し、野村望東の...
2021.09.19 11:25書評・片山杜秀『尊皇攘夷』書評・片山杜秀『尊皇攘夷』(新潮社・2200円) 3年前、政府が推奨した「明治150年」のキャンペーンは立憲政治の誕生や産業・教育の発展などを並べ、「明治の精神」「近代化」を称賛した。だが、近代天皇制や対外戦争、さらに、それらの源流とも言うべき「尊皇攘夷」については、一切触れてい...