『青年』の思い出
(1)
若き日の井上聞多(馨)・伊藤俊輔(博文)を題材とした長編小説に、林房雄(一九〇三~七五)の代表作、『青年』がある。プロレタリア大衆文学作家だった林は昭和五年(一九三〇)、共産党シンパとして検挙され、さらに京大事件の判決が下り市ケ谷刑務所に投ぜられる。転向し、同七年四月に出獄するまでの二年間、千葉、豊多摩と刑務所を転々とする中で、『青年』の構想は練られた。それは藤村の『夜明け前』に匹敵すると自負するほどだった。そして出獄後ただちに執筆にかかり、同七年八月から八年九月まで『中央公論』に断続的に連載(全十一回)。九年三月に中央公論社から単行本で出版された。
『青年』は元治元年(一八六四)夏、伊藤と井上(志道)が、横浜に潜伏するところから始まる。四カ国連合艦隊が長州藩と戦うと知ったふたりは、開戦を思いとどまらせようと留学を中止し、イギリスからひそかに帰国したのだ。ところが、藩首脳部はかれらの説得に耳を貸さない。ついに馬関海峡において戦争となり、長州藩は敗れて講和が締結される。その二カ月間の物語りである。二人の青年を見守るのは、バロッサ号に乗る老医師プウラン(架空の人物)。もちろん、高杉晋作も重要な役でたっぷり登場する。
井上が座敷牢に高杉を訪ね、高杉の獄中手記を読みながら、お互いの決意を確認し合う場面など、なかなかいい。「そのような詩句をひろいながら、聞多は、つい一年ばかり前には、縦横な才略をうたわれながらなお粗暴そのもののような男であった親友の心の中に、何物かのふしぎな作用で新しく成長し新しくひろがった世界を覗いたような気がした。冷々と透きとおった感動が背筋のあたりを流れた」といった調子だ。
また、「ああ、日本の海は、南の海は、どうしてこのように美しいのであろう!」「作者は日本の国土の美しさ、日本の人と自然の美しさを心から愛している。作者は、他の多くの仲間と共に、日本の『国法』の名において力を加えられつつあるものの一人である。二年の独房禁錮から今出てきたばかりであり、今なお『国法』の被告でさえある。しかも確信をもって、日本の国土への愛を宣言することができる。日本の国土は作者のふるさとである」など、当時の林の心情が吐露されていたりする。これを尾崎秀樹は「プロレタリア文学の作家としては転向だったが、日本主義者としては回帰だった」(徳間文庫版解説)と好意的に解釈する。
たしかにこの作品、一読しただけでは右か左か、よくわかないような内容だ。西洋列強と戦う無謀さを説いているから、私などは最初、反戦思想が込められているのかと思った。当時の林房雄の揺れ動く心理、立ち位置がそのまま現れているのだろう。
ベストセラーとなった『青年』は、つづいて昭和十年に政経書院、昭和十二年に三笠書房(現代長篇小説全集12)、昭和十三年に第一書房、昭和二十二年に創元社、昭和三十九年に講談社、昭和四十四年に文芸春秋(現代日本文学館28)、昭和六十一年に徳間書店(徳間文庫)、平成十五年に夏目書房(林房雄コレクション3)などから出て読み継がれる。しかもまったく同じ本ではない。初出、初刊、政経書院版、決定版、復活版の五種がある。これについての研究としては、内藤由直「林房雄『青年』における本文異同の戦略―国民文学への道―」(『日本近代文学・第八〇集』平成二十一年)があるので参照いただきたい。史料は末松謙澄『維新風雲録』(明治二十六年)や中原邦平『井上伯伝』(明治四十年)を使ったと思われるが、あとからアーネスト・サトウ『維新日本外交秘録』(昭和十三年)が出版されたりすると、改訂を加えたことが読み比べると分かる(たとえば講和談判での高杉晋作の動向など)。
(2)
『青年』は発表後間もなく映画化された。昭和九年三月二十九日公開、長尾史郎監督、鈴木史朗脚本。阪東妻三郎が井上、佐賀精一が伊藤、岡田喜久也が高杉に扮したが、私はスチル写真を見ただけで本篇は未見である。西洋文明の優位を知った者が、西洋との戦いに反対する物語りだから、さすがに戦時中は再映画化の話はなかったようだ。
戦後、昭和三十年代には松田定次監督として東映で映画化が企画された。八木保太郎の脚本まで出来ていたが、制作はされていない。その時の脚本が入手出来たので読んでみたが、重厚な歴史劇であり、勧善懲悪の東映時代劇とは毛色が違い過ぎる。不発に終わった理由も分かる気がした。やがて『青年』どころか、林房雄も忘れ去られてゆく。三島由紀夫が絶賛し、愛読したという話が残るくらいだ。
ところが、昭和の終わりの日本において、『青年』が突然甦る。杉山義法脚本、瀬木安康・津村健二演出で舞台化され、昭和六十一年九月四日から十月三十日まで東京宝塚劇場において上演されたのだ。配役は井上が西郷輝彦、伊藤があおい輝彦、高杉が竹脇無我、プウランが森繁久弥、変わったところでは藩主毛利敬親が藤岡琢也と、なかなかの豪華キャストだった。
これは当時大学生だった私も楽しみにして観に行ったし、よく覚えている(その後ビデオでも数回観た)。原作にあったイデオロギー的なものはあまり感じさせない、挫折する青年の物語りとして描かれていたのが面白かった。戦争にも、講和にも失敗して落ち込む井上・伊藤・高杉を、プウランが励ます場面は感動的だ。つづく井上暗殺未遂事件の場面は鬼気迫るものがあり、プウランが青年へ夢を託して日本を去るのがラストシーン。脚本を書いた杉山さんには、その後数回お会いしてお話しする機会があり、大学のころ『青年』を観たと言ったら大変喜んでくださった。
「萩は『遠雷と怒涛』というNHKドラマを書いた時に行ったよ。また今度遊びに行くから飲みましょうね」
というあたたかいお電話を頂いてからひと月も経たない平成十六年八月三日、七十二歳で急逝されて、ショックだった。以来『青年』は私にとって強い思い出が残る作品になった。
上演当時は、なぜいま『青年』なのか解らなかった。いまにして思えば、勢いに任せ、無謀なバブル経済へと突入してゆく日本への警鐘だったのかも知れない。劇場で売られていたプログラムが面白くて、巻頭に「衆議院議員 自由民主党総務会長」「安倍晋太郎」の「長州人として」と題する寄稿があり、時代を感じさせる。杉山さんの寄せた一文は「プーランは森繁さんの肉体を通して現代に甦り、日本の若者達を叱咤するに違いない」と締めくくられる。次にもし『青年』が甦える時があるなら、どんなメッセージを携えて来るのだろうか。イケイケドンドンの、強く美しく勇ましい物語でないことを祈りたい。
(「晋作ノート」26号、平成24年11月)
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