伊藤博文のエッセンスが一冊に

今年は明治天皇が崩御してから百年。あらためて、政治指導者としての明治天皇の手腕に注目が集まっている。列強がつぎつぎとアジア各地を侵食していた時代に、明治日本は猛スピードで近代化を進め、独立国として生き残ってゆく。

その間のことは、功罪ともにいろいろと考えさせられる部分もあるが、ともかく「よくぞ、やったもんだ」との感慨を抱かざるをえない。

明治天皇の絶大な信頼を得、数々の国家運営の青写真を描き、幾多の困難を克服しながら実現していったのが伊藤博文だ。伊藤がいなければ、日本の近代化はまた別の軌跡をたどっていたかもしれないと思わせるほど、巨大な政治家である。もちろん、伊藤の下で働いた有能なスタッフが在ればこそだが、かれらから上って来るものを取捨選択し、まとめて、私心を挟むことなく、リーダーとして判断を下していったのだ。これぞ、国家舵取のお手本である。

私が特にその感を強くしたのは三年前、伊藤没後百年を記念し、萩博物館で行われた特別展「伊藤博文とその時代」の主査を務めた時だ。短期間に伊藤の遺品や史料をずいぶんたくさん見る機会を得たが、その中に勅書の下書きがいくつかあったのが印象的だった。伊藤も関係する議会で、ある揉め事が起こったさい、明治天皇が勅を下し解決するのだが、その下書きを伊藤自身が書いていたりするのは面白かった。伊藤こそ、明治天皇の「ゴーストライター」だと思った。

ろくでもない政治家ばかり次から次へと出てくる、ちっとも美しくない二十一世紀のこの国において、伊藤の再評価が高まっているのは決して偶然ではあるまい。多くの国民が伊藤の再来を願っているのは、悪くない傾向だと思いたい。日本人は、まだまだこの人物から学ぶものがあったはずなのに(美化するという意味ではない)、戦後のある時期、なにを脅えたのか、みずからの手で葬り去ってしまったのだ。千円札の顔から消えて久しいし、半世紀続いたと自慢するNHKの大河ドラマも、いまだこの人物を正面から取り上げようとしない。幕末維新のドラマといえば、龍馬と新撰組の追っかけ合いっこのようなものばかりだ。実に、もったいない話ではないか。

政治家としての伊藤を知るのに、なにかよいテキストはないかと尋ねられたら、私は今回マツノ書店から復刻される『滄浪閣残筆』(昭和十三年)をイチ押ししたい。滄浪閣とは伊藤の神奈川県大磯邸のことで、「滄浪閣主人」と署名した伊藤の書をよく見かける。伊藤はこの地を特に愛し、住民票も移していた。書名だけを見ると随想集のようでもあり、この点ずいぶんと損をしている名著だと思う。先日のマツノ書店の読者アンケートでも、他の書籍に比べて知名度は高くなかった。

内容はといえば、明治元年から同四十年までの間に伊藤が書いた意見書を中心に、覚書、日記など百三十点が時系列で並べられ、それぞれに簡潔な解説が付く。編者は嗣子の伊藤博精、校訂者は平塚篤、やはり伊藤の史料集として忘れてはならない『伊藤博文秘録』(正・続、昭和四・五年)を作ったコンビだ。

目次だけ見ても、圧倒される。ためしにいま、気になるキーワードだけ拾ってみても兵制確立、版籍奉還、特命全権大使、台湾征討、地方官会議、大阪会議、士族救助、西南戦役、琉球処分、自由民権運動、華族、国会開設、憲法調査、条約改正、大津事変、日清戦争、三国干渉、北清事変、政友会、日露戦役、韓国統監などなど、明治政治史の年表を見ているような錯覚におちいる。これが、一人の政治家によって書かれたものであることも驚異だ。なぜ日清・日露戦争を行わねばならなかったのか、なぜ憲法を作らねばならなかったのか、なぜ朝鮮に手を出さねばならなかったのか、国際社会における当時の日本の言い分がちゃんと記されている。

存命中から伊藤は好色漢や性豪のように言われた。そのイメージは、いまも伊藤像につきまとう。ただし本書を見ていると、伊藤に女性を追いかけまわすような時間が、果たしてどれ程あったか疑問が沸いてくる。これほどの激務の中で、そんなことは物理的に見ても不可能ではないのか。おそらく陽気な伊藤が一の話を十にして面白おかしく語り、それがさらに十倍、二十倍とどんどん増幅し、人口に膾炙していったのであろう。

収められた史料は厳選された百三十点だから、いずれも重要であることは言うまでもない。やや王道からはずれるかもしれないが、私は「六四、内閣鞏固ナラサル原因」などが、特に面白いと思った。これは第二議会が朝野の猛攻を受けて明治二十四年十二月、解散したさい、少し政治から遠ざかっていた枢密院議長の伊藤が、十二カ条に分けて議会の問題点を書き出したものだ。

「平生政治ノ方針一定セス」「浮説流言ヲ信シ、離間ニ陥ル」「公衆ニ対シ、特ニ議会ニ対シ、赤心ヲ表白セス」「人ヲ用ユル時勢ニ適セス」などは、いつの時代でも当てはまることだろう。「信ヲ裏門ニ措キ、探偵的ノ末時ヲ以テ事情ニ通達セリト為ス」「黒幕ノ後援ヲ恃ミ、却テ責任ニ重キヲ措カス」などは、なんでもかんでも裏から手をまわそうとする悪弊を厳しく戒めている。

このように『滄浪閣残筆』は政治家伊藤というより、明治政治史のエッセンスがぎっしり詰まった一冊だ。中には、こんにちの日本に直接通じる部分も多々ある。本来なら本書は文庫のような手軽な装丁で、当たり前のように書店に並べられ、古典として読み継がれてもいいと思う。とくに歴史や政治・経済を学ぶ者、政治家などにとっては、座右に備えるべき文献である。ただし、いまのところ、それは実現していないので、今回のマツノ書店による復刻は快挙だ。ありきたりな言い方だが、多くの方々に読んでいただきたい。

(マツノ書店『滄浪閣残筆』復刻版パンフレットより)

※平成二十四年十一月出版予定の『滄浪閣残筆』についての問い合わせは、マツノ書店(電話〇八三四・二一・二一九五)までどうぞ。

春風文庫

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