封印された“松方小五郎“ (「はぎ時事新聞」平成21年2月6日)
一般には「木戸孝允」というよりも、「桂小五郎」と呼んだ方が通りがいいようだ。戦前、桂小五郎は「鞍馬天狗」などのチャンバラ映画に颯爽として登場する青年剣士だった。その名は「勤王の志士」の代名詞で、芸妓幾松とのロマンスも物語に花を添えた。昭和十九年(一九四四)には阪東妻三郎扮する小五郎が主役の大映映画、牛原虚彦監督「剣風練兵館」などが登場しているのを見ても、大衆人気を誇っていたことが分かる。
しかし戦後は価値観の急変からか、小五郎はあまり注目されなくなった。国民の歴史観に絶大な影響力を及ぼした作家司馬遼太郎が、小五郎を主人公にした長編小説を書かなかったことも関係があるだろう。もちろん、NHK大河ドラマの主人公にもなっていない。大衆人気とは、所詮そんなものだ。「志士」の代名詞は小五郎から、『竜馬がゆく』の坂本龍馬にバトンタッチされたようである。
ところが昭和五十五年初夏、東映映画の一本立て大作として公開された、山下耕作監督「徳川一族の崩壊」は、珍しく小五郎を主役に据えていた。徳川存続を願う会津藩主松平容保(萬屋錦之介)と、討幕路線を突き進む長州過激派リーダー小五郎(松方弘樹)の、幕末京都における陰謀合戦を描く一四〇分足らずの作品だ。
二十代の容保は、なぜか初老という設定。薩長提携後に蛤御門の変が起こる。と同時に、寺田屋事変らしき薩摩藩士の同士討ちも起こる。新選組も龍馬も登場しない。ともかく大胆に史実を歪曲した展開で、最初に観た時は戸惑った記憶がある。
それでもなぜか気になり何度か観るうち、これは幕末政争を生きる小五郎らの本音を、的確に描いているのではないかと考えるようになった。最たる点は、孝明天皇の扱いである。小五郎は日ごろ天皇を「玉」と呼び、戦場では「玉さえ奪えば、こっちのもんだ!」と叫ぶ。そして、敵方に立った天皇を、刺客を放ち暗殺してしまう。天皇暗殺に反対する三条実美を、他の公卿たちの前で小五郎が斬殺するという衝撃的な場面もある(もちろん、史実ではないが)。こうして政局は一転し、新しい「玉」の幼帝を奉じた小五郎らが勝利。政争に敗れた容保らの会津軍団が、御所に向かって突撃して来るところでエンドマークが出る。
史実では孝明天皇は突じょ、病死したとされる。しかし、討幕派による毒殺説は当時から囁かれた。幕府を信頼し、長州の過激派を憎んでいた天皇の死は、政局を大きく揺り動かす。以後、討幕が急速に現実のものとなったのだ。こうして、近代日本の天皇制は確立されてゆく。その意味で「徳川一族の崩壊」は一見、荒唐無稽なフィクションの奥底に、歴史の真実を秘めているかもしれない映画だと言える。
皇室ゆかりの仁和寺で蛤御門のセットを組み、撮影が行われたというのも凄い。撮影前日、学生だった浩宮様(現・皇太子)がご学友と共に同寺を訪れ、セットの完成度の高さに感心されたという。翌日、このセットは火薬で吹っ飛ばされた。
ちなみに「徳川一族の崩壊」は、一度もビデオテープやDVD化されていない(平成二十二年現在)。同時期の東映時代劇映画のソフトがほとんど発売されたことを考えると、不自然だ。その理由を天野ミチヒロ『放送禁止映像大全』(平成十七年)は、「明治天皇の父親を暗殺するという物語が『不敬』とされるためだろう」とする。そのために封印されたとすれば、二十数年前の日本の社会は、現代よりもずいぶん自由に物が言えたのだと、妙な感慨に浸ってしまう。
なお、わずかではあるがこの映画、萩の堀内などでロケも行っているので、ご記憶の方がいるかもしれない。もちろん当時、萩でも公開されただろう。最近、松方弘樹が萩沖の見島で巨大マグロを釣り話題となったのも、素敵な縁と言うべきか。
0コメント