松村久さんを悼む
明治の終わりから昭和初期にかけ、維新史に関する出版ラッシュが起こった。ようやく懐古趣味から解放された頃で、百年後のいまなお研究に不可欠とされる、優れた内容の名著が多い。
ところが、出版から数十年も経つと、ふたつの大きな問題が生じた。ひとつは紙や装丁の著しい劣化。もうひとつは現存数の少なさによる、古書価の高騰である。せっかくの名著は「稀覯本」と呼ばれ、簡単には読めなくなってしまった。
昭和五十年代初頭、マツノ書店の松村久さんが始めた「復刻」という仕事は、両方の問題を解決するものだった。松村さんの活動した時期と維新史の名著の老朽化は、見事なほど重なる。それは本の神様が、松村さんに与えた使命だったと思う。だれもまねできないから、素材は一地方史から維新史全般へと広がっていった。
『防長回天史』『吉田松陰全集』『木戸孝允日記』『児玉源太郎』『大久保利通伝』『維新土佐勤王史』『彰義隊戦史』『会津戊辰戦史』『戊辰庄内戦争録』『小栗上野介正伝』『旧幕府』等など、約300点の朽ちかけた名著を松村さんは甦らせ、新しい読者に届け続けた。これであと一世紀は、難無く読み継がれてゆくことだろう。
私が松村さんと初めてお会いしたのは平成元年(1989)夏のこと。当時、大学生の私は東京の出版社で歴史雑誌の編集に携わっていた。何度か松村さんに手紙を出したので、上京のついでに寄ってくれたのだった。
卒業後、私が山口県で維新史研究を始めるると、年に何度もお会いして本の話をした。山口県は特に維新史となると、研究者や郷土史家の足の引っ張り合いが凄まじい。そんな中で、私が30年近くも好きな研究を続けて来れたのは、松村さんが全面的に支援し、育ててくれたからだとつくづく思う。父とも師とも、慕った方であった。数十冊の復刻本に解説や推薦文を書かせてもらい、数点の著作を出版してもらったが、そのひとつ『久坂玄瑞史料』を棺に入れていただいたと知り、涙が落ちた。
好機心旺盛で、さまざまな人から分け隔てなく話を聞く姿勢は、生涯変わらなかった。内に秘めたる反骨精神は旺盛だったが、ふだんは温厚で飄々としていた。11年前、菊池寛賞を受けられたさいも、派手なパーティーなどせず、近所の中国料理店で高校の同級生がお祝いしてくれたと喜んでいたのが、松村さんらしくて印象に残る。名士然としたところは一切無く、政治や行政、学問の権威とも距離を保ち、名利を求めない生き方を貫かれた。
近年はデジタル化により、紙の本が消滅するとも言われるが、ちょっと想像出来ない。本の魅力とは、そんなに脆弱ではないはずだ。一世紀後、松村さんの復刻本が老朽化した時、また本の神様が、次の誰かにバトンを引き継がせるのだと、私は信じている。
(『中国新聞』平成30年8月17日号)
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