深作欣二とその周辺

映画の部屋 ~ 深作欣二とその周辺 ~

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神戸でひとり暮らす僕の父は、昭和五年(一九三五)十二月生まれ。この世代は、強烈な戦争体験を抜きにしては語れない。兵庫県芦屋市で育った父も工場での勤労奉仕を経験。空襲で家を焼かれ、焼け跡や闇市をさまよった。

多くは語らないが、軍国少年だった父は敗戦の少し前、みずから進んで兵士になる検査を受けたとのことだ。反対する家族には、内緒だったらしい。事実なら、当時の国は十代の少年を親の承諾無しに、生命の危機にさらそうとしたことになり、戦時とはいえ酷い話だと思った。だが間もなく戦いに敗れ、世の価値観はコロリと変わる。

それだけに、父はどこかで「国」や「権力」「権威」といったものを信用していない。反骨精神のようなものが、根強くある。そんな側面は、僕も子供のころから薄々気づいていた。しかし、だからといって社会に逆らうこともなく、一介のサラリーマンとして、戦後経済の繁栄を支え続けた。

昨年十二月に亡くなった作家の野坂昭如も、昭和五年生まれだ。神戸の焼け跡を、幼い妹とともにさ迷う『火垂の墓』は実体験に基づくという。そのアニメ化作品を、父は正視できないらしい。

僕が敬愛する映画監督の深作欣二もまた、同年の生まれ。野坂・深作共、権威嫌いのようだが、直木賞や紫綬褒章などを受けているのは面白い。父いわく、この世代は、くれるものは貰う主義らしい。そんな逞しさが無ければ、生きれなかったのだろう。

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映画監督の深作欣二は終生「反骨の人」で、そこが最大の魅力だった。六十歳を過ぎて撮った「いつかギラギラする日」(一九九二年)では、木村一八扮するチンピラが絶命直前、駆け寄って来た若い警察官に向かい、「お前さ…まだ二十歳(ハタチ)やそこらで…そんな制服(カッコ)して恥ずかしくねェのか…ロックしろよ、ロック」とつぶやく。当時二十代の僕は、制服で偉そうに振る舞う格好悪い男にはなるまいと、心に誓った。

つづく「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(一九九四年)では討ち入り前、思わず生への執着を漏らす大石内蔵助(津川雅彦)に共感。「偉人」「英雄」の見方を、教えられた気がした。この作品などで一九九七年、深作監督に紫綬褒章が贈られた。

「おもちゃ」(一九九九年)は京都花街の女たちの物語だが、年相応に途端に丸くなった印象で、毒気も乏しい。さらに自民党の大物代議士が、深夜のテレビニュースにゲスト出演し、本年一番良かった映画に「おもちゃ」を挙げた時は、「深作も、国から賞を貰ったからなあ」とちょっと失望した。

ところが、そんな危惧は次の「バトル・ロワイアル」(二〇〇〇年)で一気に吹っ飛ぶ。国家が中学三年生に、お互いを殺し合うよう命じるという過激な物語。国会議員からもクレームが付くなど、物議を醸すことになる。だが、深作は譲らなかった。「荒唐無稽」との非難に対し、自分は十五の時、国から戦争に行って人を殺せと言われたと反論。さすがは、戦争で青春を台なしにされた昭和一桁世代だ。ますますファンになったことは言うまでもない。

(3)

戦後の広島を舞台にした深作欣二監督のやくざ映画「仁義なき戦い」は、昭和四十八年(一九七三)から翌四十九年にかけ、全五部が作られた。その一挙上映を観たのは、十四歳だった昭和五十六年のこと。場所は神戸市の神戸東映。映画少年だった僕は、ただただ圧倒された。

まず、驚かされたのは、登場人物の誰が善か、悪か、何が正義なのか分からない点。それまで僕が観て来たのは、人生の美しさを謳歌したり、正義は必ず勝つといったメッセージが込められたような作品が大半だった。ところが「仁義なき戦い」には、そんな視点がほとんど無い。

主人公の広能(菅原文太)も最初は純粋、単純なヒーローっぽく描かれる。ところが、煮え湯を飲まされて成長するや、権謀術数を駆使し、親分の山守(金子信雄)を失脚させようと画策。強い権力を利用するが、仲間と思っていた武田(小林旭)に裏切られ、どんでん返しを食らう。組織から追放される広能に向かい、武田が言う。 「組があってのわしらじゃけんのう、こんなみたいなモンには、出てって貰うしかないんじゃ」

悪辣な親分に逆らう広能にも正義があり、武田にも組織人としての正義がある。当時の僕は、これから出てゆく社会がどんなものかを、この映画から学んだ気がする。しかし実際社会に出てみたら、描かれた広島やくざ抗争より、もっと理不尽なことが多いことに驚かされたりもしたが…。近年、何でも単純に二極化したがる社会の傾向が指摘されるが、そこに僕が違和感を覚えることができるのは、「仁義なき戦い」のおかげだ。

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広島やくざ抗争史を描く深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」五部作の第一部は、昭和四十八年(一九七三)一月の初公開時から絶賛された。同年『キネマ旬報』邦画ベストテンでは二位に選出。それまで暴力映画とは無縁の権威ある賞も、いくつか受ける。

これに対し、一部の「良心的」評論家は憤慨し、激しく非難。作品の出来云々ではなく、こうした荒っぽい映画を生み出し、もてはやす世相に対する、悲しみにも似た抗議だったような気がする。

確か、「仁義なき戦い」を観た男子高校生グループが、興奮覚めやらぬまま、神戸の繁華街で別の男子高校生に肩が当たったと言い掛かりをつけ、殴り殺したといった事件があった。当時小学校一年生の僕はそれを新聞で知り、衝撃を受けたことを覚えている。

また、昭和五十四年一月、大阪の銀行に猟銃を持ち立て籠もった犯人の、帽子にサングラススタイルは、第二部「広島死闘篇」で千葉真一扮する愚連隊のボスそっくりだ。任侠映画の観客が「健さん」気分で、肩で風を切り劇場を出たというが、それ以上に「仁義なき戦い」は強い刺激の「毒」を含む映画だ。当時の若者に与えた「悪影響」も、忘れてはならない。

だが、四十年後のこんにち、「仁義なき戦い」は「名作」という評価のみが残った。この間に社会が成熟したなんて言うと、うそくさい。若者が牙を抜かれ、去勢され、「毒」から刺激を受けなくなったのだと僕は思う。もろ刃の刃だからこそ、「仁義なき戦い」は面白い。「毒」が非難されない時代もまた、なんだか恐ろしいのだ。

(5)

四十年余り前に作られた「仁義なき戦い」全五部作は近年、「反戦映画」と評されることがある。

たとえば、第三部「代理戦争」のラスト。暴走した子分の死を悼む広能(菅原文太)の苦悩に満ちた表情と原爆ドームが交互に映し出され、「戦いが始まる時、まず失われるものは若者の命である。そしてその死は、ついに報われたためしがない」うんぬんのナレーションがかぶる。脚本を書いた笠原和夫は昭和二年(一九二七)生まれで、大竹海兵団の二等兵曹として終戦を迎えた戦中派だ。

一方、昭和五年に生まれた焼け跡派の深作欣二監督も、戦争にこだわる。たとえば第二部「広島死闘篇」で、ヒットマンの山中(北大路欣也)が警察に追い詰められ、拳銃自殺する場面。笠原の脚本では「拳銃の銃口をこめかみに当てがい、力一杯引金を引く」のだが、実際の映画では銃口を口にくわえ、引金を引く。山中は、特攻隊に行き遅れた軍国少年の成れの果てという設定。深作が「こめかみ」を「口」に変えたのは、戦時中、南方で餓死寸前の日本兵が、そのやり方で自決したからだという。

ただ、脚本家も監督も「仁義なき戦い」を、頭から「反戦映画」として作ったわけではあるまい。かれらの心の中に無意識のうちに影を落とす戦争体験が、自然と作品中に現れた結果だと思う。

江戸時代初め、大名家には「お伽衆」がいた。平和な時代しか知らない若殿様に、自分の戦場体験を聞かせるのも仕事だ。戦いの悲惨さも説いただろう。いま、「仁義なき戦い」にも、そんな役割が生まれて来たのかも知れない。

(6)

一昨年、相次ぎ亡くなった俳優の高倉健と菅原文太は、かつて「健さん」「文太兄イ」と呼ばれ、特に若い男性から慕われていた。男のための男の「アイドル」というのが、大きな意味を持つ。

全共闘世代は、「健さん」の任侠映画に熱狂したという。つづく「文太兄イ」は銀幕の中で派手に飾ったトラックを疾走させ、パトカーを煙に巻いた。そして昭和五十五年(一九八〇)、NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演。逆境に身を置きながら、明治新政府に抵抗し続ける会津出身の男を、荒々しくも繊細に演じた。それらを僕らは、夢中になり追った。

理不尽な強い力には決して屈せず、自分の信念を貫く。腕っぷしは強いが、実は社会的には弱者。しかし、さらなる弱者を守ろうと、卑劣な敵と戦う。そんな生き方は現実的には難しくとも、男の子たちにとり、憧れの理想像だったのだ。「文太兄イ」の役割は、やがて若手の「松田優作」に移る。

ところが、平成元年に松田優作が四十歳で亡くなるや、「男」の理想像が失われた。時はバブル経済の絶頂期。残ったのはCMでの「健さん」の「不器用ですから」のひと言であり、理想像は単なる世渡り下手な「男」に一変した。

ただ、以上の三人は実生活でも「男」らしさを貫き亡くなったから、単なる「偶像」ではなかったのだろう。しかし、その次が出て来ない。現代の男の子にとり、かつての「健さん」「文太兄イ」らに匹敵するのは、誰だろう。どうも思い当たらぬのだが、それが「この国」にとり、大きな不幸の始まりである気がしてならぬ。

(7)

「仁義なき戦い」というやくざ映画が面白いのは、登場人物の私生活を、かなり無視して組織の抗争を描いたことだ。主人公の広能(菅原文太)ですら、全五部の中に妻や恋人などは一切出て来ない。二十代前半から四十代半ばまでの人生で、身近な女性がいたのかすら不明である。それは広能のライバルである武田(小林旭)や江田(山城新伍)、松永(成田三樹男)なども同様だ。

ただ、ずる賢い槙原(田中邦衛)には妻がいる模様。殴り込みに行く前に「女房がのう、腹に子がおって」と泣き出し、逃げてしまう。あるいは「完結篇」で槙原が暗殺された後、武田が広能に「かみさんにキャンキャン泣かれて往生したわい」とぼやく。しかし、二回だけ台詞に出てくるものの、妻そのものは結局登場しない。

昨今映画も歌も恋愛に頼り過ぎと思うが、無視しても、実はすばらしい作品は生まれるのだ。第一人間は四六時中、恋だ、愛だと言い暮らしているわけでもない。

ただ、この境地に至るまで、「仁義なき戦い」の作り手たちにも、葛藤があったようだ。第一部で脚本家の笠原和夫は、広能の恋人を創作したが、モデルの人からクレームがつき、削除したという。あるいは第三部「代理戦争」の台本準備稿を読むと、完成した映画には無い広能のラブシーンがある。飲み屋で口説いたホステスの京子と、一夜を共にする広能。「一人前の極道」に出世するチンピラとは、どんなタイプなのかを寝物語で話して聞かせる。なにやら不自然で、やはりカットして正解だったと思う。

(8)

昭和五年(一九三〇)生まれの深作欣二監督の遺作は、「バトル・ロワイアルⅡ」(二〇〇三年)である。ただし、撮影が始まって間もなくの平成十五年一月十二日、七十二歳でがんで他界したため、長男の健太がメガホンを引き継ぐ。そのため完成度が高いとは言えないが、軍国少年だった深作の米国に対する不信感、恨みつらみが最も露骨に出ている気がする。

主人公は、国際指名手配されているテロリスト七原秋也(藤原竜也)。世界に住む六十三億人にはそれぞれ異なった価値観があるのに、「ひとにぎりの国」が「平和」「自由」を勝手に決めるなと七原は宣戦布告し、総理大臣(津川雅彦)を怒らせる。七原はそれを認めぬ限り、テロはなくならぬとも言う。総理大臣は「あの国」の大統領が機嫌を損ねることを、極度に恐れている。「世界は『あの国』を中心に、ひとつになっている」からだ。「あの国」が米国を指すのは言うまでもない。

これが台本準備稿になると、もっと凄い。ずばり米国大統領が登場し、「今度の爆撃は平和維持活動だ」「七原秋也はあらゆる自由と民主主義の敵だ」といったせりふがある。さすがに、これは映像化されていない。

深作にはテロを肯定する気など、みじんもなかっただろう。だが、追い詰められたテロリストにも「正義」があり、そこに一切耳を傾けず、ひたすら「超大国」の論理で押しつぶすことこそが危険なのだと訴えるのだ。いまこそ再評価されるべき、不気味な予言のような作品である。

(「中国新聞」平成28年1月6日~15日)

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