かおるちゃん (「産経新聞・九州山口」平成22年10月29日)

以前、ある地方都市の文学館で、存命小説家の眼鏡や万年筆、果ては「初めてお使いになられたワープロ」といった品々が、うやうやしく展示されているのを見て、思わず笑ってしまった。こうした評価は棺を覆うて初めて行われるべきだと思う。高齢となり、思うように作品が書けぬ作家の、みっともない自己顕示欲が透けて見え、哀れすら感じさせた。これぞ「老害」である。

思い出したのが、長州出身の明治の元勲である井上馨のこと。「老害」を撒き散らし、大正になり81歳で没した。晩年は静岡県奥津の自宅庭に、巨大な自分の銅像を建て、派手な除幕式を行う。講談師を呼び、若き日の武勇伝を演じさせた上、あれこれと指導。自分の伝記を御用学者に書かせ、出版。さらには他家の茶会で気に入った掛け軸があると、「これはもらっておく」と言って、持ち帰ったという。周囲も恐れて、止めなかったらしい。

幕末の井上は熱血漢で、英国に密航留学したり、暗殺されかかったりした。しかし、かつての同志、伊藤博文や山県有朋は明治政府の宰相になったが、井上はなれなかった。伊藤や山県は公爵だが、井上は一段下の侯爵である。その大きな原因は、財界との癒着がひどく、汚職事件を起こしたからだという。

そんなコンプレックスの結果が、自分自身を顕彰するという、みっともない行為だろう。ただし井上の場合、還暦で「今日よりはもとの赤子にかへりけり皆さん御免だだをこねても」と宣言したから、一抹の可愛さは感じられなくもない。

0コメント

  • 1000 / 1000