春風文庫
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書評・片山杜秀『尊皇攘夷』
書評・片山杜秀『尊皇攘夷』(新潮社・2200円) 3年前、政府が推奨した「明治150年」のキャンペーンは立憲政治の誕生や産業・教育の発展などを並べ、「明治の精神」「近代化」を称賛した。だが、近代天皇制や対外戦争、さらに、それらの源流とも言うべき「尊皇攘夷」については、一切触れてい...
「青天を衝け」人物事典
「青天を衝け」人物事典1 栄一を育てた血洗島の人々 「青天を衝け」に描かれる青春期の渋沢栄一(1840~1931)は、その還暦を祝い出版された自伝『雨夜潭(あまよがたり)』が下敷きになっている。栄一少年が藍玉農家を競わせて品質を向上させたり、代官から理不尽な御用金を強要されて涙し...
筑前勤王党掃苔録(1)
晋作、最後の帰省
晋作、最後の帰萩 一坂太郎(1) 慶応年間、高杉晋作の活躍の舞台のほとんどは、長州下関(馬関・赤間関)だった。慶応元年(一八六六)十一月には、馬関越荷方への勤務を命ぜられたりもする。長州藩は再び攻め寄せるであろう征長軍に備え、晋作を下関に配した。そして同三年四月十三日...
木戸孝允の診察書など
なぜ、晋作の江戸行きは忘れられたのか
(1) 平成22年(2010)11月に77歳で亡くなった晋作曾孫の高杉勝さんから直接聞いた話だが、昭和30年代後半、東京の高杉家に、関西のある大学教授が史料調査のため訪れたことがある。応対したのは勝さんの母はるさん(晋作の孫春太郎夫人)だった。その時、教授は一点の史料をどうしても...
木戸孝允の診察書
「御楯組血盟書」を読む
晋作のファンサービス
晋作と有吉熊次郎
晋作と有吉熊次郎 晋作の従僕になる 『せつ御日誌』(『高杉晋作史料・二』)は長州藩主世子の小姓役として初出仕した高杉晋作の日記であり、萩で沙汰を受けた文久元年(一八六一)三月十三日から始まる。当時世子毛利定広(元徳)は江戸に在ったため、晋作...
明治維新150年という空気
今を読む明治維新150年という空気 政府は昨年、「明治百五十年」と銘打ち、しきりと「明治の精神」「近代化」を高く評価したが、盛り上がらないまま終わったように思った。国民の多くが無関心だったのは、明治が遠くなり過ぎたことと無関係ではあるまい。 半世紀前の明治百年も、佐藤栄作首相らが...