明治維新150年という空気

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明治維新150年という空気

 政府は昨年、「明治百五十年」と銘打ち、しきりと「明治の精神」「近代化」を高く評価したが、盛り上がらないまま終わったように思った。国民の多くが無関心だったのは、明治が遠くなり過ぎたことと無関係ではあるまい。

 半世紀前の明治百年も、佐藤栄作首相らが主導し盛り上げようとした。1968(昭和四十三年)十月二十三日には日本武道館に一万人を集め、式典を開いた。だが、政府が無批判に賛美する明治維新に始まる日本の近代化は、果たして正しかったのかとの疑問の声も湧き起こった。特に歴史学界では、否定的な意見が強かったと聞く。

 当時の内閣が出した「『明治百年』をどのように祝うか」の一文を見ると、「全国民は驚くべき勇気と精力をかたむけ、近代国家建設という目標に向かってまい進したのだ」などと勇ましい。しかし対外戦争を繰り返し、アジアに膨張して、ついには惨めな敗戦を迎えたといった近代史の核には、極力触れようとしない。

 68年と言えば明治生まれが、まだ社会の一線で活躍していた。高度経済成長のさ中とはいえ、敗戦から二十余年しか経っておらず、その傷痕も至るところに残っていた。だから、一方的に近代化を称賛する政府の姿勢の是非が、一般家庭の中でも議論の対象になったはずである。

 ところが150年では、そのような明治との接点が、ほとんど無くなってしまった。明治維新や近代化に対する政府の評価は明治100年の頃と大差ないが、それに目くじらを立てる人も少なくなった。歴史学界でも反発どころか、行政に擦り寄り、荒稼ぎした「研究者」もいたようである。

 私が住む山口県は、この節目を観光イベントと捉えたようだ。各地には高杉晋作をマンガのキャラクターにした旗が、ひしめいていた。村岡正嗣知事が吉田松陰や伊藤博文ら「偉人」と「対談」する形式のパンフレットを次々と作っていた。明治は遠いと、実感させられた。

 山口県が近代化に、多大な影響を及ぼしたのは言うまでもない。現役を含め、首相も八人輩出している。しかし、うち四人は軍人である点も忘れてはならない。近代日本とは、軍人が政治を行う国であり、それをリードしたのが山口県出身者だった。

 ところが、そうしたことをテーマにした展示やイベントは、見受けられなかった。幕府を倒した政権交代を、ドラマチックに伝えるのも良い。しかし、その後こそが重要なのだが、触れようとしない。

 数年後に来る「昭和100年」の方が、よほど国民の関心を呼ぶだろうし、身近なテーマだと思うが、政府はどのように扱うのだろうか。

 今の政府は明治維新を、「建国神話」に仕立てたいらしい。視界が悪く、不安定な国の人心をまとめる目的で、政治がナショナリズムを高揚させようとした例は古今東西、枚挙にいとまがない。

 1940年は「紀元二千六百年」という「建国神話」にちなむ式典と東京オリンピック・万国博覧会が行われる予定だった。私はこれを「ナショナリズム高揚三点セット」と呼ぶ。

 しかし日中戦争の激化もあり、オリンピックと万博は寸前で中止となる。翌41年12月に太平洋戦争に突入していった。「建国神話」の部分を「明治維新」に置き換えて昨今の情勢を見ると、いろいろと思い当たる節もある。

 そのせいか、明治維新にかかわるあらゆる「評価」を「政治」の力で強引に統一することも、行われている気がする。

 は拙著『吉田松陰190歳』(青志社)にも書いたが、「尊王攘夷の志士」の松陰を「工業教育」「産業立国」の先駆者、松下村塾を「工業教育」の場とし、祭り上げようとの動きがある。そんな評価には首をかしげてしまうのだが、私は逆らわずとも従わなかったら、政治や行政関係者からさんざんな目に遭わされた。

 尻尾を振らねば食えなくなると、忠告してくれる人もいる。だが私は食えないよりも、歴史の人物評すら統一され、理屈が通らない社会に向かう空気の方がよほど怖い。

       (『中国新聞』令和元年8月3日号)



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